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関連施設
南宮大社

金山彦命を主祭神に、旧国幣大社で美濃国一の宮として、また全国の鉱山、金属業の総本宮として、今も深い崇敬を集めています。社伝では神武天皇即位の年の創建とされ、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦で社殿のすべてを焼失。寛永19年(1643)、3代将軍徳川家光が再建したといわれています。広い境内には本殿・拝殿・楼門など、朱塗りの華麗な姿を並べ、江戸時代の神社建築の代表的な遺構15棟が、国の重要文化財に指定されています。年間を通じ大小50余の祭典が行われ、5月5日の例大祭、11月8日の金山祭(ふたご祭り)などの神事があります。

朝倉山真禅院

春は桜、秋は紅葉の名所となる西美濃33霊場の第17番札所が真禅院です。行基が創建し、南宮神社(今の南宮大社)の別当寺となったと伝えられています。南宮神社同様、関ヶ原合戦の兵火により炎上。家光が再建し、明治初年の神仏分離令によって現在地に移されました。境内には、県下で最古の梵鐘、国指定重要文化財の本地堂や三重の塔、北条政子の寄進と伝わる鉄塔があります。

垂井宿

垂井宿は中山道の宿駅であると同時に美濃路の起点でもあり、交通の要所でした。天保14年(1843)、垂井宿総家数315軒で、商工業者が多く軒を並べていたと記録されています。中町にあった本陣は大名、宮家、公家などの休泊にあてられ、西町にあった脇本陣は本陣の予備として使われました。東町には当時の旅籠亀丸屋が現存しています。現在本龍寺には旧脇本陣の門が移築され、一風変わった太鼓櫓が近接する民家の屋根瓦と相まって、当時の垂井宿をしのぶことができます。

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中山道ミニ博物館

県から「まちかど博物館」第1号に指定され、旅用具や史料などが展示・保存されています。元県歴史資料保存会会長の太田三郎さんがご自宅を提供されており、見学希望の方は事前の予約が必要です。
(0584)22−2897

時雨庵

松尾芭蕉は、奥の細道紀行の2年後の元禄4年(1691)10月、垂井の本龍寺第8世規外の門をたたき、規外の庵で冬籠りをしました。境内には獅子門の句碑が多く残っています。

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竹中氏陣屋跡

戦国時代の智略が飛び交う中で、豊臣秀吉の名軍師、竹中半兵衛重治公とその一族の活躍には目を見張るものがありました。拠点であった陣屋跡には白壁の正門、がっしりとした石垣が残っており、一族の隆盛を物語っています。

菁莪記念館

江戸幕府は朱子学を官学とし、藩校などでは武士教育が盛んに行われ、儒学が浸透していきました。岩手の旗本竹中氏は天保年間に道場菁莪堂をつくり、文武両道を指導。明治になって菁莪義校、菁莪学校として発展しました。現在、岩手小学校の東南に菁莪記念館が建てられています。

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