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 今から約60万年〜1万年前(先土器時代)、人類は打製石斧や骨角器(石や骨を利用して作った道具)などを使って動物や植物をとるようになり、食べ物を求めて転々と移動して暮らすようになりました。
 9500年(縄文時代)ほど前になると気候が温暖になり、けものやさかな、植物などがたくさんとれるようになり、竪穴式住居(家)を作り4〜5軒の小集落に、一定期間同じ場所に生活するようになりました。また、縄文土器や、弓矢、磨製石斧などの新しい道具も作るようになり、生活も少しづつ変化してきました。
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▲磨製石斧
▲縄文土器片
(願興寺境内出土)
▲弥生土器片
(中切 鬼門坊貴船遺跡出土)

 2300年ほど前(弥生時代)になると大陸から稲作農耕(米を作ること)が伝わり、食べ物を蓄えるようになりました。このため農耕(農業)のできる低い場所に集落を作って長く住むようになり、各地に小国家ができました。農耕文化は人々の生活習慣を豊かにしましたが、階級社会を生み出す原因にもなりました。約1700年(古墳時代)ほど前になると、支配者と支配される者の区別が明確になり、巨大な古墳(お墓)を作ることが権威の象徴とされました。御嵩町内には、4世紀末の高倉山古墳(前方後方墳:伏見地内)をはじめ現在199基以上の古墳が確認されています。