昭和56年、上之郷謡坂地区「七御前遺跡」より、十字架がしるされた3つの小石碑が発見されたことをきっかけに、聖母マリア像などのキリシタン関係品十数点がつぎつぎにみつかり、この御嵩町にもかつて弾圧をかいくぐりながら密かにキリシタン信仰をつづけた人々のいたことが証明されました。
天文18年(1549年)、キリスト教は宣教師フランシスコ=デ=ザビエルによって鹿児島に伝わり、戦乱の世に救いを求める民衆(人々)と織田信長に守られて急速に広がりをみせ、数十年のうちに信仰する人の数は15万人にものぼったという記録が残っています。
しかし、豊臣秀吉が天下を取ると、はじめは認めていたキリスト教を禁止して宣教師を国外に追放しました。しかし、慶長5年(1600年)、徳川家康へと政権(政治を行う力)が移ると外国との貿易の発展のためキリスト教を黙認したといわれますが、2代将軍秀忠の頃になると禁止する動きが活発化し、さらに3代将軍家光の頃には絶対認めなくなりました。寛永17年(1640年)には庶民すべてが仏教寺院の檀家になることを義務づけた「寺請制度」が実施され、以後キリシタンを信仰する人は厳しい弾圧と迫害(くるしめられ、しいたげられること)を受けるようになりました。
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▲聖母マリア像 |
▲十字架陰刻碑
(謡坂 七御前遺跡出土) |
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