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明治2年(1869年)、中村岩井(現在の中地区大庭)の亀谷吉兵衛と金子光助が金毘羅神社参拝の帰り、大阪の川岸で黒い石のようなものを運んでいるのをみつけ「石炭という燃えて燃料になるものだ。」と教えられ、一塊を持ち帰り「これなら裏の山にある黒い石(亜炭はメタセコイヤという樹木の化石です)とかわらない。」と山から採って来て燃やしました。すると匂いがひどいもののよく燃えたため、これを商売にしようとあちらこちらへと走り回った結果、しだいに家庭燃料や製糸工場・公衆浴場などで利用されるようになり、やがて亜炭は一大産業に発展しました。
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