グラフでみる高根村





 

 

 昭和40年には高根第1ダム・第2ダムの建設が始められました。そのため、工事の関係者が村に入り、様々な業者もやってきました。届け出を出さないで生活していた人も多く、実際に住んでいたのは3000人以上で、5000人とも7000人とも言われています。上ヶ洞(かみがほら)地区には飲食店や映画館など40軒以上の店が建ち並び、そのにぎやかさのため「高根銀座」と呼ばれました。

 昭和44年にダムが完成し、村の中心部にある集落「大古井(おおぶるい)・日影(ひかげ)」や周辺の農地は、ダムの底に沈みました。また、アマゴ・イワナなどを放流していた漁場が使えなくなりました。これらの損害を受けた656軒に対して電力会社から補償金が支払われ、それらの家々の多くは、高山市などへ移転していきました。また、工事の関係者は、村を出ていき、様々な店も閉じていきました。

 その後、若者が村外へ移住し、生まれる子どもの数が減るなどして、しだいに人口が減ってきました。

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