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城下町

城下町
 400余年の歴史の中に生き続けて来た現在の城下町。城山の麓の城下町を東西に流れる岩村川の北側を武家屋敷に、南側の一本の道に沿って町人屋敷きとした。
 現在の本町通り(旧上町、中町、下町)に面する両側の屋並みの基礎は江戸時代に入り造られたものです。
 上町には、主として職人が住み、大工、指物師。葺き屋、石屋、鍛冶屋、畳屋、諦鉄師などが軒を連ね、また織物染物の仕事場もあり、中町、下町には商い屋が並んでいました。
ナマコ壁
 蔵の壁保存のため、その表面に平らな平瓦を斜めに並べ、継目を漆喰で固めたものがナマコ壁である。その盛り上がった形が海鼠に似た所からその名がついた。
木村邸
 木村家は、藩の財政窮乏のとき御用金を才覚し、岩村藩駿河領の水害、同美濃領の麦の凶作など救済事業に尽力。また天保5年(1834)の江戸藩邸類焼の折、復旧に多額の金品の用立てなど、多くの事業に活躍しています。
 木村邸は現在、町で管理・保存をしています。有料で屋敷内の見学ができるようになっています。
鉄砲鍛冶
下町の木戸跡近くから北方へ曲がり、橋を渡った武家屋敷街にある加納家は、藩政時代に火縄銃を造った家柄です。
 一部土蔵造りの一風変った建物で、軒の採光窓が特徴。今も鉄砲鍛冶の名残りを留めています。
高札場
 下町の木戸の南(現在の柳町)に武家屋敷を設け、そこに足軽を住まわせ、木戸の守りと共に高札場の管理に当らせていました。藩主は領民取締りの各種ご法度を公布、それを高札場に掲示して領内に知らせていました。