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関連資料とリンク
関連施設
千本松原
揖斐川と長良川の背割堤に連綿と連なる松並木。そう、ここが千本松原。この松並木は宝暦5年治水事業を完成させた薩摩藩士たちが涙ながらに植えたものなのです。木洩れ陽の中、緑に染まる松原の石畳を歩くと昔ここに熱く雄大なドラマが演じられたことが不思議に思えるほどの静けさが漂っています。
治水神社
宝暦治水工事の責任者、薩摩藩家老平田靭負を祭神とした治水神社。檜造りの荘巌な社と緑陰を宿す松林が広がる治水神社の広大な境内には神秘的な緊張感がピーンと張りつめています。この神社は藩士を顕彰するため昭和13年に地元や近辺の人々の寄付で建立したもの。この地に生きる人々の深い感銘の証しとなっています。
水屋
輪中に暮らす人々にとって洪水は片時も忘れてならないことでした。庭の柿の木も避難用に上げ舟を繋ぐためのものと聞いてビックリ。堤防が切れたときを考え、この地の家は土台が高くしてあります。そして一段と高いところに水屋を建て避難場所としたのです。極め付きは水が来たら仏壇を吊り上げる「上げ仏壇」という仕掛け。その信心の篤さには二度驚かされます。
宝暦治水の偉人たち
宝暦治水は平田靭負を責任者とした947名の薩摩藩士たちが成し遂げた偉業です。治水史に例を見ない難工事は約40万両という巨額な費用と多くの犠牲者を伴い、その責任をとって平田靭負は自害したと伝えられています。現在、海津町には治水神社、近代治水百年記念碑、油島締切堤の宝暦治水碑などにその偉大な足跡が記されています。