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垂井の自然
 日本のほぼ中央に位置し、山間部と平坦部をあわせもつ垂井町は、動植物の種類が豊富で、寒地性と暖地性のものがいりまじって生育しています。垂井の泉や表佐のガマなど美しい湧水があり、町民の生活をうるおしています。この豊かな自然のもと、ハリヨ、モリアオガエル、スズカケソウの生息地や自生地があり、泉にそびえる大ケヤキは町のシンボルとなっています。いっぽう、町の大部分が扇状地上に発達しているため水が地中にしみこみやすく、稲作には不向きな土地がらでした。垂井の先人は、ため池、マンボとよばれる特殊な用水を作ることによって、豊かな垂井を築いてきました。
▲マンボ
大昔のくらしをたずねて
 いまから1万2千年ほど前から、土器や弓矢などを使用する縄文時代が始まりました。垂井町の大滝野瀬遺跡や長尾遺跡などから数多くの大昔の人々が残していった道具が見つかっています。垂井の豊かな自然を背景に、縄文人たちが狩猟や採集を行っていた様子が目にうかんできます。
稲作の始まった時代
 今から2千3百年ほど前に、大陸から米作りの技術やそれにともなう木製の農耕具、金属器、また縄文土器よりも優れた弥生土器などが伝わりました。稲作の伝来は、それまで狩猟や採集を中心にしていた人々の生活を大きく変えました。計画的に食料を保存できるようになり、豊かになった反面、ムラの内部やムラとムラとの間に、土地や用水をめぐる争いを生じさせました。垂井町でも弥生時代の土器などが見つかり、この時代にひとびとが生活していたことが知られます。