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かご訴 かご訴
かご訴のようす(想像模型)
・1755年(宝暦5年)11月、東気良村善右衛門(ひがしけらむらぜんえもん)、東気良村長助、切立村喜四郎(きったてむらきしろう)前谷村定次郎(まえだにむらさだじろう)那比村藤吉(なびむらとうきち)の5人の代表が、江戸城に向かう途中の老中酒井忠寄(さかいただより)の行列に「かご訴」をしました。
・かご訴とは、幕府の重役が、かごでお城に登る途中に、訴え事を書いた書状を差し出すことです。たとえ、その訴えが正しいことであっても、「死罪」を覚悟しなければなりませんでした。
かご訴をしたときの訴状
……郡上藩の百姓が、130人も牢屋(ろうや)につながれ、男たちはちりぢりになって一人もいなくなりました。江戸でも40人余りが閉じこめられ、村に残された家族も難儀(なんぎ)しています。
郡上藩は、山に囲まれ、土地がやせている上に、寒さやけものの害が多く、毎年不作で困りきっています。わたくしどもは、なんでもかんでも検見取りに反対する気はありませんが、こんなに年貢が重くなってはどうにもなりません。わたくしどもの願いをお聞きくだされば、検見取りのこともお受けいたします。
まず、牢屋につながれている百姓たち、へやに閉じこめられている百姓たちをときはなしてください。その上で、わたくしどもの訴えごとをお取り調べください。
かご訴をしたときの定次郎らの気持ち
……体を清め、神や仏に祈ってこの日を待った。老中様がお城へ登られるのを待っていると、その行列のようすは堂々として、草木もなびくような勢いであった。私たちは、これを見て肝をつぶし、足のすくむ思いだったが、呪文をとなえ、腹をすえ、体中の力をふりしぼって、身も命も投げ捨てて、かごをめがけて飛びこんだ。
「これは無礼な!人非人(人でなし)」と、目の前の役人にけちらかされ、目がくらんだが、もう一度飛びこみ、前のようにおこられたので、その場に大声をあげて泣きくずれた。…………すると、かごの中から声があり、名前と宿を聞かれ、私の屋敷へでかけるように」と言われた。私たちは、夢かとばかり喜び合って、やがて老中様の屋敷に訴え出た。 ……
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