・農民たちは、団結を固めるために、一揆の仲間からぬけないという誓いを立てて、
傘連判状
(
からかされんぱんじょう
)
をつくりました。円形に名前を書いていっているので、傘連判状と呼ばれています。
・1756(宝暦6)年3月には、二日町村の農民67人が、傘連判状をつくり、仲間から抜けないという誓いをたてました。
また、4月には、郡上郡全体の115ヵ村代表による傘連判状がつくられました。
・郡上一揆の連判状で残っているものは、この2つしかありません。