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箱訴 箱訴
・1758年(宝暦8年)4月2日、
歩岐島村治右衛門(ほぎしまむらじえもん)
二日町村伝兵衛(ふつかまちむらでんべい)
剣村藤次郎つるぎむらとうじろう
東俣村太郎右衛門ひがしまたむらたろえもん
市島村孫兵衛いちじまむらまごべえ
向鷲見村弥十郎むかいずみむらやじゅうろうの6人は、評定所前の目安箱に、箱訴をしました。
・箱訴とは、評定所の前に置いてある目安箱に訴えの書状を入れることです。江戸幕府の8代将軍、徳川吉宗とくがわよしむねが1721年に百姓や町民の意見を聞くために始めました。訴えごとについては、作り話を書かないこと、訴え出た人 の名前をはっきりと書くことなど、きまりがたくさんありました。 かご訴と同じで、「死罪」を覚悟しなければなりませんでした。
箱訴をしたときの訴状
一、 郡上の百姓が毎年不作の上に、藩が検見取りをしようとしていること
一、 これについてたびたびお願いしても聞き入れてもらえず、百姓が牢屋に入れられていること。
一、 江戸に出て酒井様にかご訴をしたが、まだお裁きがないこと。
一、 気良村の勘助がくわしい取り調べもなく処刑されたこと。
一、 歩岐島村の四郎左衛門の家で、郡上藩の役人に大切な帳面を取られたこと。この時、大勢の百姓たちが棒や刀でけがをさせられたこと。
…………
 少しもまちがっておりません。
 幕府のお情けで公平なお裁きをしてください。そうすれば、郡上中が安らかにおさまり、仕事もまじめに行い、年貢もとどこおりなく納めさせていただきます。
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