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処罰 処罰
郡上一揆の主な処罰者
<農民側>
獄 門   前谷村定次郎  
歩岐島村四郎左衛門  
切立村喜四郎(牢死)  
寒水村由蔵 死 罪
東気良村善右衛門  
東気良村長助(牢死)  
那比村藤吉  
歩岐島村治右衛門  
二日町村伝兵衛  
剣村藤次郎  
市島村孫兵衛  
東俣村太郎右衛門(牢死)  
向鷲見村弥十郎  
向鷲見村吉右衛門 遠 島
那比村彦吉 追放等
数十人(牢死18人)  
<幕府・藩側>
領地没収 若年寄 本多忠央
勘定奉行 大橋親義  
郡上藩主 金森頼錦 役儀取り上げ
老中 本多正珍  
大目付 曲淵英元  
笠松代官 青木次郎九郎 遠 島
渡辺外記    
粥川仁兵衛   追放等
数十人    
さらし首のようす(想像図) 穀見刑場跡
・獄門となった定次郎、四郎左衛門、由蔵の首は、郡上に送られ、穀見刑場で3日間さらし首にされました。
・刑場に呼び出された親類たちは、「取り調べの途中で牢で死んでいった者も大勢いる中で、偉いお役人様方に首をお運びいただいて獄門になされるのは、強訴した700余人の中でこのうえもない幸せ者です。本望をとげ、まことに喜ばしいことです。」と、堂々と述べたということです。
・江戸時代の各藩主、遠藤氏、井上氏、金森氏、青山氏が、領内の罪人を処刑するための仕置場として使われました。
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