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前谷村定次郎 前谷村定次郎
前谷村定次郎 年表
できごと
1728(享保13) ・郡上郡前谷村百姓助左衛門の長男として生まれる。
1755(宝暦5) ・江戸藩邸出訴を決定する傘連判状からかされんぱんじょうに名を連ねる。
・老中酒井忠寄へかご訴する。
1756(宝暦6) ・村預となり江戸を出発する。
1757(宝暦7) ・郡上に到着、庄屋の家に監禁され、足軽2人と百姓6人によって昼夜見張られる。
1758(宝暦8) 歩岐島騒動ほぎしまそうどうの混乱に乗じて飛騨との国境の鹿番小屋へ身を隠す。
・江戸へ密かに入り、箱訴のための準備をする。
・江戸町奉行宅へ駆け込み訴をする。
・牢に入れられる。
・獄門の判決を言い渡される。
・斬首の刑に処せられる。
1759(宝暦9) ・郡上の穀見刑場こくみけいじょうで獄門にされる。(31歳)
残されている定次郎の書状を見ると、達筆で、誤字もほとんどなく、漢文的な表現も正しく使われていて、江戸時代中頃の百姓の若者が書いた手紙とは思えないものです。
定次郎は、幼いころから父親の助左衛門に読み書きを習っていました。助左衛門は、定次郎が居眠りをしたりなまけたりすると、はさみで手のひらの厚いところを、チョンと切っていましめたということです。
父親の厳しいしつけのもとに身に付けた文筆の素養は、一揆の指導者として活躍するのに大きく役立ちました。
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