年 |
月 |
できごと |
1754(宝暦4) |
2 |
・藩が庄屋たちを呼び出し、年貢の取り方を、定免取りから検見取り(に変えることを命じる。 |
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7 |
・農民たちは、那留ヶ野((白鳥町)に集まり嘆願書(をつくり、藩に差し出す。 |
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8 |
・ |
庄屋を中心にして、代表が、南宮神社(八幡町)に集まり、傘連判状(をつくって団結を固め、藩に検見取りをやめてもらうようにお願いに行く。 |
・ |
何千人とも言われる多数の農民が、藩の役所に押しかけ、「十六ヶ条の願書」を差し出すという強訴(を行う。 |
・ |
驚いた藩は、3人の国家老が、その願いを聞き入れ、江戸の藩主に伝えることを約束した書状を農民たちに渡す。 |
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1755(宝暦5) |
7 |
・笠松代官所から、庄屋たちに検見取りを承知するように申し渡しがある。 |
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8 |
・ |
笠松代官所の役人が郡上に来て、三家老の書状を取り返す。 |
・ |
農民の有志70人余りが、那留ヶ野に集まり、傘連判状をつくって団結し、江戸の殿様にお願いすることを決める。 |
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9 |
・藩の江戸屋敷に行き、前の「十六ヶ条の願書」に加え、「十七ヶ条の願書」を出す。 |
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11 |
・農民代表5人が、かご訴を行う。 |
1756(宝暦6) |
3 |
・二日町村(白鳥町)の農民67人が、傘連判状をつくり、仲間から抜けないという誓いをたてる。 |
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4 |
・郡上郡全体の115か村代表による傘連判状がつくられる。 |
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8 |
・江戸の評定所や北町奉行所で、『かご訴』の取り調べが行われる。 |
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12 |
・ |
『かご訴』をした5人は、江戸で何の裁きもないまま、郡上に送り返され、それぞれの村の庄屋に預けられる。 |
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1757(宝暦7) |
6 |
・前谷村定次郎(、切立村喜四郎(の名で立百姓たちが団結を固めるよう呼びかけるおふれが回る。 |
1758(宝暦8) |
2 |
・ |
歩岐島騒動(が起こる。 この騒ぎにまぎれて、村預かりとなっていた前谷村定次郎と切立村喜四郎は、ひそかに脱走して、江戸へ向かった。 |
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3 |
・ |
定次郎、喜四郎は、四郎左衛門(に、「もはや、箱訴によって将軍様にお願いするしか方法はない。箱訴をする人を郡上
から選んで江戸に送って下さい。」という手紙を書く。 |
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4 |
・農民代表6人が、箱訴をおこなう。 |
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7 |
・老中酒井忠寄(から、裁判の命令が出される。 |
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7〜12 |
・ |
ほぼ毎日裁判が行われる。老中、若年寄、三奉行をはじめ幕府の役人、郡上藩主や藩の役人および農民たちと、広範囲にわたる大勢の人々が取り調べを受けた。 |
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1758(宝暦8) |
10 |
・幕府の役人への判決がでる。 |
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12 |
・農民たちへの判決がでる。 |
1759(宝暦9) |
1 |
・江戸から郡上に送られた定次郎、四郎左衛門、由蔵(の首が獄門にさらされた。 |
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・青山幸道(が金森氏にかわって郡上藩を治める。 |