・
前谷村定次郎
(
まえだにむらさだじろう
)
と並ぶ宝暦郡上一揆のリーダーの一人です。一揆の始めから相談事の中心となって活動しました。
・ 1755年(宝暦5年)11月、
東気良村善右衛門
(
ひがしけらむらぜんねもん
)
、同村長助、
前谷村定次郎
(
まえだにむらさだじろう
)
、
那比村藤吉
(
なびむらとうきち
)
らと、江戸城に向かう途中の老中
酒井忠寄
(
さかいただより
)
の行列に「かご訴」をしました。
・一揆の裁判の取調中に牢死しました。37歳でした。
・高鷲村の島村家の仏壇には、喜四郎の法名があります。