・四郎左衛門は、一揆の帳元(ちょうもと:会計の責任者、一揆の陰の指導者)の大役をまかされた人でした。
・1758年2月、藩の足軽らが、四郎左衛門の家に押し入り、大切な帳面や金銭を奪い取り、それに対して、農民たち3000人が集まり、藩の足軽たちと大乱闘になりました。これを、「
歩岐島騒動
(
ほぎしまそうどう
)
」と言います。
・1758年12月、
裁判の判決
で獄門となり、1759年1月、
穀見刑場
(
こくみけいじょう
)
で、3日間さらし首にされました。