奈良時代 |
|
|
「古事記」「日本書記」に神武天皇の伝承として鵜飼が登場 |
|
|
「万葉集」に柿本人麻呂、大伴家持の鵜飼の歌あり |
702 |
大宝 |
2 |
美濃国各務郡中里の戸籍に鵜養部目都良売あり |
|
平安時代 |
927 |
延長 |
5 |
「源氏物語」藤裏葉、松風に鵜飼が登場 |
|
|
赤染衛門、尾張への途中、美濃国杭瀬川で鵜飼を見る |
1159 |
平治 |
元 |
「平治物語」に頼朝が鵜飼の者に助けられて美濃青墓に来るとあり
|
|
|
室町時代 |
|
|
世阿弥、謡曲「鵜飼」を作る |
1432 |
永享 |
4 |
将軍足利義教、墨股川(長良川)で鵜飼を見る |
1473 |
文明 |
5 |
一条兼良、美濃国江口(長良川)で鵜飼を見る
|
1568 |
11 |
織田信長、武田信玄の使者秋山伯耆守に鵜飼を見せる |
|
安土桃山
時代 |
1573 |
天正 |
5 |
兎庵老人、河渡川(長良川)で鵜飼を見る
|
|
|
織田秀信の頃、鵜飼舟12艘 |
|
江戸時代 |
1603 |
慶長 |
8 |
大久保長安、鵜飼保護の触書をだしたという |
|
|
この頃、鵜匠長良12人、小瀬7人 |
1615 |
元和 |
元 |
大坂の陣の帰途、徳川家康、秀忠父子岐阜に逗留、鵜飼を見る |
|
|
同年、河崎喜右衛門鮎鮨の御用仰せつかる 献上鮎鮨開始 |
1619 |
5 |
鵜匠、鮨所尾張藩に所属する |
|
明暦 |
この頃、鵜匠長良15人か |
|
延宝 |
この頃、鵜匠小瀬6人 |
1646 |
正保 |
3 |
尾張藩主徳川義直岐阜にきて鵜飼を見る |
1688 |
貞享 |
5 |
松尾芭蕉、岐阜に招かれて鵜飼を見る |
|
元禄 |
この頃、鵜匠長良14人、小瀬7人 |
1707 |
宝永 |
4 |
鵜飼漁年々厳しくなり、この年、長良の鵜飼舟7艘とし14人で操業 |
1722 |
享保 |
7 |
長良川洪水 鵜飼の川筋、古川から井川(現在の本流)へ変わるという |
|
|
この頃、多良の高木家牧田川で鵜飼を行う |
1729 |
14 |
長良鵜匠7人になる |
1731 |
16 |
御鮨所を御鮨元と改称 |
1752 |
宝暦 |
2 |
長良川とその支流での鵜飼の妨げになるものを禁止する |
1797 |
寛政 |
9 |
小瀬鵜匠5人になる |
1862 |
文久 |
2 |
献上鮎鮨廃止 |
|
明治時代 |
1868 |
明治 |
元 |
有栖川宮家進献御用を仰せつかる |
|
|
小瀬鵜匠廃止、川漁取締役になり鵜飼続ける |
1871 |
4 |
長良、小瀬とも廃止、その後冥加金から鵜飼税を納めて続けることになる |
1878 |
11 |
明治天皇北陸ご巡行の際、岩倉具視ら鵜飼を見る、天皇に鮎献上 |
1890 |
23 |
長良川筋に御猟場定められる |
|
|
鵜匠、宮内省主猟寮の所属になる |
1898 |
31 |
長良川遊船会社設立される |
|
大正時代 |
1922 |
11 |
英国皇太子鵜飼を見る |
1924 |
13 |
遊船会社、岐阜市保勝会が買収して営業する |
|
昭和時代 |
1927 |
2 |
遊船、岐阜市直営となる |
1929 |
4 |
市営納涼台できる |
1955 |
30 |
鵜飼観覧客10万人越える |
1961 |
36 |
チャップリン鵜飼を見る |
1973 |
48 |
「国盗り物語」ブーム、鵜飼観覧客30万人越える |
|
平成時代 |
1991 |
3 |
アメリカ合衆国シンシナティ市で鵜飼公演 |
1997 |
9 |
天覧鵜飼が行われ、天皇皇后両陛下が鵜飼をご覧になる(8月21日) |
2004 |
16 |
現在鵜匠、長良6人、小瀬3人 |
|