人間が生きるためには、いろいろな食べ物が必要です。そこで川で魚をとるため、手でとったり、やりでとったり、網(あみ)でとったりするなどいろいろな方法を考えました。あるとき、人間は鳥が魚をとっている様子を見、鳥を使って魚をとることができないかと考えました。そして、鵜(う)を使って魚をとることを考え出したのです。これが鵜飼の始まりだといえます。

 この鵜をあやつって魚をとる人のことを鵜匠(うしょう)といい、明治以来、宮内省(くないしょう)(現在は宮内庁)式部職(しきぶしょく)の位が授与(じゅよ)されています。長良川の鵜匠の数は、現在岐阜市長良の6人、関市小瀬の3人と合計9人で、宮内庁式部職の位が授与(じゅよ)されているのは、全国でこの9人だけです。鵜匠は、親から子へと引き継(つ)がれる世襲制(せしゅうせい)で、山下哲司鵜匠(岐阜市長良在住)も子どもの頃から鵜匠である父親の姿を見て育ち、鵜匠を継ぎました。

 1そうの鵜舟には鵜をあやつる鵜匠と、中乗り、とも乗りの3人がおり、この3人が1組となって鮎(あゆ)をとりながら川を下っていきます。鵜は野生の海鵜(川鵜よりも大きくて丈夫(じょうぶ))を飼い慣(な)らして(3年ほど訓練(くんれん)する)使っています。

 長良川の鵜飼は毎年5月11日から10月15日まで、仲秋(ちゅうしゅう)の名月と洪水の日を除き毎日行われています。尚、長良川鵜飼用具一式122点は国重要有形民俗文化財に、長良川鵜飼漁法は岐阜市重要無形民俗文化財にそれぞれ指定されています。