美濃十六宿をゆく
今須宿 関ヶ原宿 垂井宿 赤坂宿 美江寺宿 河渡宿 加納宿 鵜沼宿 太田宿 伏見宿 御嶽宿 細久手宿 大湫宿 大井宿 中津川宿 落合宿
美濃十六宿の比較−天保14(1843)年の場合−
宿名 人口
(人)
町並の長さ 家数
(軒)
本陣数
(軒)
脇本陣数
(軒)
旅籠屋数
(軒)
次宿への距離
(Km)
落合おちあい 370 3町35間 75 1 1 14 3.9
中津川なかつがわ 928 10町7間 228 1 1 29 9.8
大井おおい 466 6町30間 110 1 1 41 13.7
大湫おおくて 338 3町6間 66 1 1 30 5.9
細久手ほそくて 256 3町45間 65 1 1 24 11.8
御嶽みたけ 600 4町56間 66 1 1 28 3.9
伏見ふしみ 485 5町16間 82 1 1 29 7.9
太田おおた 505 6町14間 118 1 1 20 7.9
鵜沼うぬま 246 7町30間 68 1 1 25 16.8
加納かのう 2728 21町30間 805 1 1 35 5.9
河渡ごうど 272 3町 64 1 0 24 4.7
美江寺みえじ 582 4町28間 136 1 0 11 8.7
赤坂あかさか 1129 7町18間 292 1 1 17 5.2
垂井たるい 1179 7町余 315 1 1 27 5.5
関ヶ原せきがはら 1389 12町45間 269 1 1 33 3.9
今須います 1784 10町55間 464 1 2 13 3.9
交通関係史略年表
西暦 元号 できごと
1601 慶長 6 徳川家康、東海道に宿駅伝馬制を設ける。
1602 慶長 7 徳川家康、中山道に宿駅伝馬制を設ける。
1603 慶長 8 江戸日本橋が架橋される。
1604 慶長 9 日本橋を起点に、各街道に一里塚を築く。
1635 寛永 12 参勤交代制が確立する。
1659 万治 2 道中奉行が置かれる。
1689 元禄 2 松尾芭蕉、『奥の細道』の旅に出る。
1716 享保 元 五街道の正式名が定まる。
1802 享和 2 十返舎一九『東海道中膝栗毛』刊行。
1821 文政 4 伊能忠敬『大日本沿海輿地全図』完成。
1833 天保 4 歌川広重「東海道五十三次」版行。
1835 天保6 渓斎英泉が中山道の宿場をテーマとした風景版画の制作をはじめる。
(やがて、歌川広重がそれを引継ぎ、「木曽海道六拾九次」として完成)
1861 文久 元 和宮、中山道を通過する。
1867 慶応 3 「ええじゃないか」が起こる。
1870 明治 3 本陣、脇本陣の制度を廃止。
1872 明治 5 宿駅制を廃止。伝馬所・助郷を廃止。
落合宿〜今須宿間は約30里21町(約124q)
1里=36町(約3.93q)1町=約109m
  1町=60間 1間=約182p
『中山道宿村大概帳』より作成
『週刊朝日百科 日本の歴史 75 近世T−9 旅』より作成