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■赤坂宿(1843年)■ |
大垣藩領 |
人口 |
1129人 |
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家数 |
292軒 |
本陣 |
1軒 |
脇本陣 |
1軒 |
旅籠 |
17軒 |
歌川広重「木曽海道六拾九次之内 赤坂」 中山道広重美術館(田中コレクション)所蔵 |
垂井宿までの距離 約5.2km |
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赤坂は、杭瀬川を行き交う船の船着場として発展し、中山道が整備されてからは、宿場町として栄えた。また、赤坂から北に位置する谷汲山華厳寺((西国33カ所巡礼地の33番目)へ参詣する谷汲街道の起点という場所でもあった。文久元(1861)年、孝明天皇の妹和宮が降嫁の際には、江戸に向かう途中ここで宿泊することになったため、「お嫁入り普請(」とよばれる54棟もの家が新築された。
付近には、関ヶ原の戦いの前に徳川家康が最初に陣を敷いた勝山や、奈良時代に民の支配と地方政治の安定を目的に建立された国分寺の跡が残されている。 |
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国分寺の建立を命令した奈良時代の天皇は誰でしょうか。 |
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