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■加納宿(1843年)■ |
加納藩領 |
人口 |
2728人 |
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家数 |
805軒 |
本陣 |
1軒 |
脇本陣 |
1軒 |
旅籠 |
35軒 |
歌川広重「木曽海道六拾九次之内 加納」 中山道広重美術館(田中コレクション)所蔵 |
河渡宿までの距離 約5.9km |
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加納城(国史跡)は、慶長6(1601)年に奥平信昌(のぶまさ)(10万石の譜代大名)が入城。当初戦略上の要地として位置づけられた加納であったが、大坂の役(1614〜1615年)後は、尾張藩の設置によってその意義を失い、宿場町として栄えていく。
和傘は加納藩の武士の内職として、宝暦年間(1751〜1764)に作られるようになったといわれる。
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宝暦年間に、木曽・長良・揖斐の木曽三川を分流する治水工事が実施されました。この治水工事を幕府から御手伝普請として命じられた藩は何藩でしょうか。 |
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