|
|
|
|
|
|
■関ヶ原宿(1843年)■ |
旗本竹中氏領 |
人口 |
1389人 |
|
家数 |
269軒 |
本陣 |
1軒 |
脇本陣 |
1軒 |
旅籠 |
33軒 |
歌川広重「木曽海道六拾九次之内 関ヶ原」 中山道広重美術館(田中コレクション)所蔵 |
今須宿までの距離 約3.9km |
|
|
|
|
|
|
|
関ヶ原は、古くから北陸方面に向かう北国街道、伊勢方面に向かう伊勢街道の
分岐点としてにぎわい、美濃十六宿の中でも加納に次ぐ町の長さと規模を有していた。7世紀におきた壬申の乱の戦場の一つになり、その後律令制度の中で、鈴鹿(伊勢)・愛発(あらち)(越前)とともに日本三関といわれる関所が置かれた。
その後,徳川家康率いる東軍が石田三成率いる西軍を敗った慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いはあまりに有名で,現在も陣地跡や首塚などの史跡が至る所に残っている。
また,ここは伊吹おろしの強風が起こす火事への対策のため、道幅を従来の倍に広げ、中央に水路を通す工夫がなされていた。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
壬申の乱に勝利した大海人皇子は 後に即位して何という天皇になったのでしょうか。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|