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■御嶽宿(1843年)■ |
尾張藩領 |
人口 |
600人 |
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家数 |
66軒 |
本陣 |
1軒 |
脇本陣 |
1軒 |
旅籠 |
28軒 |
歌川広重「木曽海道六拾九次之内 御嶽」 中山道広重美術館(田中コレクション)所蔵 |
伏見宿までの距離 約3.9km |
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御嶽は中山道の美濃路で最初に朱印状を下付された主要な宿である。美濃の平坦部と山間部との境に位置する立地状況がその要因と考えられる。
弘仁6(815)年に最澄が開山したと伝えられる願興寺(蟹薬師)は、東濃地区一円の信仰を集めた古刹の一つである。本宿は当寺の門前町から発展し、形成されたものとみられる。
中山道(上街道)に対して、途中分岐して名古屋城下へ向かう下街道が整備されたため、御嶽宿を通る荷物が減少し、宿の経営が圧迫された。そのため寛永期(17世紀前半)頃から下街道との争いが度々みられた。 |
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