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■中津川宿(1843年)■ |
尾張藩領 |
人口 |
928人 |
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家数 |
228軒 |
本陣 |
1軒 |
脇本陣 |
1軒 |
旅籠 |
29軒 |
歌川広重「木曽海道六拾九次之内 中津川」 中山道広重美術館(田中コレクション)所蔵 |
大井宿までの距離 約9.3km |
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中津川は木曽路の入口であり、飛騨街道の分岐点に当たる交通の要衝の地であった。商業で賑わった当時の遺構が今も残り、その規模の大きさが窺える。商域は、木曽・飯田方面に及ぶ広範囲であった。取扱商品は、穀物、調味料等の日用品が売買されたほか、白木製品は、京都・大坂方面へ出荷し、莫大な利益を上げた。
文久2(1862)年には、長州藩の桂小五郎(木戸孝允)がこの地で藩主毛利敬親を待ち受け、藩論を尊王攘夷へと方向転換する会議(中津川会議)が開かれた。 |
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中津川商人が扱った白木製品(木製品)のうち、「お六□」と呼ばれるものは、中津川から木曾谷にかけての名産品でした。17世紀末の段階で1年に2万2千以上生産され、京都や大阪方面にも売られて、売上高は180両ほどにもなったと記録されています。さて、その製品とは何でしょう。□にあてはまる漢字1文字(ひらがなでは2文字)を考えてください。主に女性の身のまわり品です。 |
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